2015年2月23日

納得の1汁3菜

長い付き合いのアーティスト達が山梨辺りに多く生息している。皆昭和頃から一人二人と多摩地区から、不動産の高騰や騒音問題だったりと、追い出される様に移動して行ったのだ。残念に思っていたが、それぞれ上手く定着し、深く環境と係わって生活してるようで今となってはかえって羨ましいくらいです。
彼らと年に一回の交流として味噌造りが数年前から始まった。

なぜ味噌なのかはまだ聞いてないが、凄いコダワリだし、安くて美味しいと、今年は20人程に増えた。
作家達がこのためにわざわざ造った道具を中心に、一日がかりで1表以上の全員の分を仕込みます。味噌って仕込みそのものは単純で難しく無い。素人でも楽しめる良いイベントですね。毎日の食の基本だし、食でつながるっていい感じ。
使う水はこの場所に湧き出る高尾山系の天然水。

2晩水に漬けた有機無農薬大豆を薪で蒸す。無農薬の玄米麹を塩で起こす。蒸せた大豆を臼で潰す。大豆と麹を混ぜて仕込みは完了です。これをカビを気にかけて半年も保存すれば美味しい味噌が出来上がる。

いくら最高の素材を使っても、所詮、プロの手になる一流品には洗練さで敵わないのだが、出所の判ってる食材って嬉しいじゃないか。納得出来るってのが何よりだ。食べるたびに彼らの顔が浮かんで来るのもさらにヒト味の価値。皆長生きしてくれよな。
妻のパン、僕の蕎麦、家族仕込みのジャム類、従兄弟の米、妻友らの野菜、そしてこの味噌、嬉しい1膳1汁3菜に納得する。

これに酒があれば言うこと無いが、梅酒で我慢はやむ終え無し。




2015年2月10日

実になる話

スカジャン、という響きがいつも気になるのが気になっていた。
脳みその何処かに何か刻まれてるのかしら?。
学生時代、同級達が横浜っ子だったので、夜遊びの随分を横浜近辺で過ごした。そのせいだろう、その時期に何か引っかかる事象に出くわしたかして記憶の断片となったと推測する。自分の脳みそを眺めツラうってのが大凡年寄りじみてきた証なのだが、そういう半端な思い起こしも...案外気持ちが良い今日この頃である。
あの当時としては、堅気の日本人には受け入れ難い程ペラペラピカピカな生地に富士山や虎や龍等、風呂屋の絵みたいなちょっと安っぽい図柄が刺繍してあって、夜の街で出くわす大柄マッチョなアメリカ兵がコレ着てアポロキャップってえイデタチだったりして、日本土産用みたいに思っていたはずだ。それでも自分じゃとてもじゃないけど着れないが、どこかカッコイイと思っていたのに違いない。

久しぶりの横須賀散歩。
デカイハンバーガーを食べた腹ごなしにドブ板商店街を散策してたら、すっごくイカしたスカジャンが目に飛び込んで来た。
刺繍が凝っている。龍だったり、花火だったり、まるで西陣の帯かと見紛うばかりの出来映えで、ウットリする様なジャンパーに仕立てられていた。
すげぇ~...と刺さる。
当時の品とは雲泥の差、工芸品と言える程の高貴な輝きを放っていた。
吸い込まれる様に店内に。
品の良い穏やかなおばあちゃん一人。
ブラッと冷やかしめいて居た風なのに気持ちよくあれこれと試着させてくれる。モノの講釈からはじまって、息子が日銀、孫が東大入った、等々。妻と盛り上がって話に花が咲く。
僕は女達の会話に加わるでもなく適当に相づち打ちながらジャンパーいじってると一着欲しくなって買わずに出られなくなって来た。妻も買わせる気十分のテンション。そうなのだ、僕は自分一人では洋服買いに行けない。最近ユニクロは入れる様になったけどね。だから妻にはそういう面倒を受け持つ責任感が備わってる。その上誰か、たしかスタイリストだ、に言われてから、僕にはピンクが似合うと信じ込んでいる。世辞って通じない妻。
いつのまにかアレがイイ、コレがイイなどと購入モードで品選びとなって、最終的にはやっぱりピンクの桜吹雪&アゲハチョウに決まった。
そしてあれよと言う間に驚く程値切っていた...かなわねぇなぁ。
しかしながら一応やれやれとか、買わされたとか言いながらも元来ハデ好みである僕はおおいに満足なのであった。
これで長く脳裏を浮遊しつづけた記憶の断片も一応の実を結んだという顛末。

家で広げて...うわっやっぱハデ~。さて、何処に着てく?。