2008年3月31日

花より友達


満開の桜に水を差す寒空の下、水泳同好の友人達を集めて近くの公園で宴を催しました。でも泳げない人も交じってます。皆、桜を見上げる暇もない程話に夢中。こんなに寒くっても仲間が寄り合えば暖かい空気が通うんですね。この宴数年恒例ですが、以前、怪しいオジサン達が騒いでるってんで何度かケイサツを呼ばれた事があったので、今回はチョッと手間でしたが官庁に正式な許可を得て大手を振っての宴会と仕立てました。煙が出ると言われ、消防署にも届け出です。コンロ使用なのに火消し水バケツ用意しとけだって。うるさい連中を気にして炭を避け、年期物のコールマンのガソリンコンロで鉄板焼。ネタは皆の持ち寄りでヤミ鍋ならぬヤミ鉄板すっ。実は僕昨日も花見、今週は満開ピッタリとなって飲み会が集中してしまい少々カンゾーが疲れました。風引いたかなチョッと喉が痛いです。

2008年3月28日

桜色の街

国立の大学通りは桜の色で真っ盛りです。中央道から秘密基地にお出での方々は是非!この数日の国立をお見逃し無く。それにしても、桜って一年の移ろいをしみじみと感じさせてくれますね。正月も好きですが、忙しいし、なんか覚悟が先に立ってしまい柔らかさに欠けてしまうんですが、春の巡りの色っぽさは格別な情緒、慈愛に溢れた節目です。この通りは子供の頃からず〜っと歩いてきたので春に感じ入る気分は時間を超えてしまいそう。いつから大人だっけ?。もう54才ですが自分のあまりの変わらなさに戸惑う今日この頃です、オイオイ・・・。

2008年3月14日

いいとも






仲間が仲間を呼ぶんでしょうか、いろいろ来る種類が増えてきました。毎朝、鳥さんたちと会話がある生活は我が家庭に一時の潤いをもたらしてくれるようになっています。11の末っ子はTVの「オハスタ」の合間に観察しています。28の長男はイップクしながらツイと目をやるようです。        妻はメジロの大好物の柑橘果物を欠かしません。何時も2匹ツガイで訪れます。ウグイス色に白縁の目で仕草がじつに愛らしい。               外に吊るしておくと大きなグレーのムクドリが来て丸ごと持ち去ってしまうので、小鳥しか入れない網小屋の中に下げています。こ奴つは無粋な大食漢。3倍ほどの体格で小鳥達を蹴散らして威張り散らします。                 ヒマワリの種はシジュウガラ君の好物で摘んでは枝に器用に叩き付けて割って食べています。モノトーンのおしゃれ君も仲良いツガイですね。代わる代わる見張りを兼ねて行動しています。何組なのか解りませんが大体どの時間帯でも見る事が出来ます。                         シジュウガラは種をよく落としてしまうんですが、地面にはこのツグミさんが待っており、おこぼれをついばんでいます。ツグミの訪問は稀なことです。臆病なオットリさんは今朝ずいぶんゆっくりしていきました。普段は茶のマダラですが、今日の君は婚姻色でしょうか、上半身がうっすら緑がかって一段と可愛いです。         キジバトは餌が合わないのか稀に様子だけを見に来ます。  もう、そろそろウグイス君が来てもいい頃なんですが・・・。

2008年3月11日

ボディコン2

造形には一方ならぬ思いがある。門外漢ではあるがクルマに在っても、形と性能は関係ないってことはあり得ないと常々考えている。建物の住み心地と空間性は無関係か?。服の着心地とファッション性は無関係か?。あらゆるモノで形態と機能の面白い関係に触れることができるが、まったく不釣り合いだと思う事例に出会った事が無いのは僕だけだろうか。形は結局の所、目指した世界を表している最終的結論に他ならないんだ。GIULIAを磨いていると形と性能が語る世界に引きずり込まれてしまう。そうして思いを広げるといつも「段付き」が気になって仕方が無い。誰かあの「段」の訳を知ってたら教えてくれないか。というわけで晩酌ついでに勝手に想像力を働かせてみたのであった。 クーペはその大方を2600時代からのモチーフを引き継いでるわけだが、より引き締まって完成度の増した造形はさすがジウジアーロ(だったよね)の実力。ボディーサイド上部を走るカットされた面のすばらしいハリは賛美に値する。それによって出来る2本のラインがフロント部で交錯するのが堪らなくドラマチック。下のラインはボンネット前端へ水平に延び、上のラインはサイドマーカーへ垂直に降りている。それ故1点で交差する逃げの利かないテーマこそが事件の始まりなんでしょう。フェンダー上面のハリのある面とボンネット全体の緩いハリのある面をライン交点向って連続させなければならない。交点が明快な程、谷の様になる造形は難題だ。デザイナーのイメージしたレベルに辿り解こうと、きっとモデラーはクレイを盛っては削り、何度も直したに違いない。出来るたびにジウジアーロのダメ出しでナイフで削らされたはずだ。そういう状況の中、やり直しを見つめる彼の感性は当初のイメージから発して新たな局面を迎えるに至ったに違いない。削り直すモデラーのナイフのカット面を見て直感したんだ。そうしてきっと自らナイフを掴んで交点に向けて45度でサイプを入れた・・・Oh my God! いやGood! チャンチャン!。造る上ので苦悩を表現する論理を超えたデザインとなった。あのエッジ!当時プレス技術的にもすばらしく困難だったろう。こういうことはデザインする過程でけっして珍しいことではないが、自動車工業界であることを考えると、現場で起こったドラマを重役会議の納得を取り付けることが出来る彼と、受ける役員の双方の力量には恐れ入るってもんだ。さぁて、2000GTVはどうしたってかい?デザイン現場の空気が伝わるような段付きではあるが所詮はアバンギャルド、モデル後期に至って、ライトを広げて交点を逃げ整合性の高い大人な表現に至ったのはしごく自然な成り行きだったに違いない。はぁ〜・・・AでもAmでもかまわない、いつかオタフククーペを所有したいなあ。

2008年3月1日

ボディコン

僕が初めてGIULIAに出会ったのは、若さ故に六本木界隈をチョロチョロしだした頃だったなぁ。ディスコから出て来て、ふとロアビル(まだ在るのかな)の前に止まっていた妙な車に釘付けになってしまった事が思い出される。近づく間もなく走り去ってしまった車を調べようとも解らないままにしていた数年後、今度は中央線に乗っていて、遠目に東小金井の駅前に止まっている車が確かにあの個体であることを確信してから胸騒ぎを抱き続けることになったのだ。長い話になりそうなので割愛しよう。それから10年、やっと登場する秘密基地であるが、最初に寄ったのは何と!ルノーR8ゴルディーニが入っていたからでした。開店間もない頃はいろいろな車種があって、愚かにも33の意味も知らず師匠の人柄ゆえかたびたび出入りする様になった頃、ようやくGIULIAを目の当たりにすることになったのでした。そうか、これはジュリアスーパーという車だったのか!長年の胸のつかえが落ちると共に決断には時間がかからなかったという訳でした。思い返せばまったく罪深い事に、Alfa Romeoの栄光の歴史もGTAの活躍も知らないで、ただこのデザインだけ!が全てだったんです。             先日の酷い風ですっかりホコリまみれになって痛々しいGIULIAを引っ張り出しキレイに磨き上げると、輝きを取り戻したボディーに何時もの様にウットリしてしまいました。コのデザイナーは紛うことなき天才ですね。ベルリーナデザインは機能的な制約が多く、クーペの様にストレートにかっこイイを狙えない。四角いメインボディーの上に大き過ぎるキャノピーが乗って、整理し難い4枚ドア、という要素を処理する上で、普通なんとか四角くならない様に考えがちな所。コイツはそれを逆手に取ったかの様な迫りっぷりだ。まず何よりボンネットからフロントガラスへなだらかに続いてる事がスゴい。そして、サイド全長をエグルように角を削ってしまったのがまたスゴい。これによってキャノピーがボリューム以上に際立って見え、セダンらしさをデフォルメしたような妙なバランス感覚を生んでいる。だから遠目にも個性が曇ることがない。そして、その長いエグリの終わり方がスゴ〜い。信じられない様なリアの凹んだ造形の最も避けたかったであろう角部にズンズン向って行き、寸前でスっと丸く終えてしまっている。人知を超えた技に開いた口が塞がらない。よく見て行くとサイドのエグリの下のラインはボンネットからボディーサイドへと延び、丸くなった後端部を経て戻る様にドアガラス敷居からフロントガラスの下端にまで回り込み、左右を1周して続いているのが解る。先代のジュリエッタベルリーナのクレイモデルに、正面からサンドブラストを当てて削り出された様な造形に、こんな四角いセダンにありながらも「風」を感じてしまう。このとんでもないアイデアは屋根部でも繰り替えされ、シツコさはイタリアか!とツッっこんでみる。そうしてシコシコワックスを掛け進みリアに回り込むと何時もヘタり込んでしまうことになる。神の技と思える凹みにもう言葉も無い・・・・・醜いって誰が言ったかな。