2011年11月22日

黒いジグザグ道と白い女

落ち葉もずいぶん積もる様になって、早いもので初冬といえる季節になった。確実に時間は加速している。
快晴の富士五湖道路 by Spider。
少しだけ雪を冠った富士山が美しい。
白雪の中、夏に歩いたアノ登山道が黒いジグザグ線となってくっきりと浮かびだしている。アノ山がこんなに身近に感じられる様になるとは...こうして見上げると改めて登ったことの価値に頬が緩む。
それを見逃さない助手席の妻に突っ込まれる。

今日はその妻にせかされて箱根へ絵を見に行く事になった。
ポーラ美術館で藤田嗣治の展覧会が行われている。
この人の作品は幾度となく見る機会があったし、妻の側には多少の縁がある方だし、シャペルドフジタのフレスコ画も見たし、そして、その絵には強く引かれるものを感じていたのだが...何故か?機会があるときまで置いといて、というような感覚があって気持ちの整理をしないまま感動を貯めておいた。
そうして今日、この年になるまで何のチャンスも訪れなかったのはあまりにも残念な事だったと、気づく事になるわけだ。
この展示の事は何となく知ってはいたが、妻に請われるまで頭に無かったので何の予備知識も無いまま到着。
ガラス張りの手のかかった現代建築の工作にばかり気をとらわれる。
受付嬢の美しさにハッとする。フジタの絵に出てきそうな、細面で色白で大きな目をして何とも言えない繊細な知性を漂わせていた。
さ〜すが化粧品会社だと、目が釘付け。
妻はチケット買うのに夢中で、おとがめは無し。

フランスで縁のあった画家たちの作品を交えながら展示が始まる。
次々に現れる、白い絵。
輝くような白い肌の女。
繊細な線の色香に惑う。
質、量共に圧倒的な展示の凄さに驚いた。
脳内集中力物質を吸い取られて行く。
ヘトヘトになった。
図録を買い込んだ。
今夜から、これをユックリとめくり、40年分の整理をする幸せを手に入れた。

2011年11月11日

つぶやいてしまう事もある

ふたたび厳島神社である。
入り口の左の柱に「世界遺産」の大きな木彫りの看板が誇らしげに掲げてあった(ちなみに右柱は「国宝」とある)。あれを誇るにはそれなりの審査があって、外国から専門家が何度も来てるはずだが、何の指導も付かなかったんだろうか。とするなら、この看板も所詮観光指向の登旗にしか思えなくなってしまいそう。
このブログに似合わない展開は自分でも意外だが、背後の守護霊に背中を突っかれてる気分なのでやむ終えない。

他でもない、社務所というんだろうか、お守りやお札を売る仮設小屋に納得がいかないのだ。
海の中を自在に走る回廊と拝殿の間の海の上に、白木の掘建て小屋をはめ込んで売店としていた。前記事写真と左右対称なので在る無しを想像されたい。一応、本体には手を加えない配慮は見て取れるが、それだけで十分なのだろうか。これじゃあ拝殿脇の肝心部分の開放性を台無しにしてしまっている。本来ここは下記写真同様に潮風が通い、日差しが降り注ぎ、脚基のさざ波に反射した煌めく光が薄暗い拝殿の奥まで入り込み、厳かな儀式を照らし出していたはず。そういうランドスケープを取り込んだ計画性こそこの建築の醍醐味なのじゃなかろうか...と。無念。

もう一つ言わされてしまおう。
順路出口付近の能舞台で何やら催しがあるらしく、舞台と回廊の間の海に無数の柱を建てて広く仮設の床を張り巡らして埋めてあった。二年前も同様に。どうも観客席を増設しているように推測できる。催しが開かれていれば見方も変わるのかもしれないが、修復現場の様な造作はどう見てもこの場にふさわしくない。始終行われるのか作りっぱなしにされているのかな。

800キロを越えて来た僕にはまこと残念な事でした。
おっと、これくらいで慎もう。

この世界に誇れる遺産のために。

2011年11月8日

縁・えにし

広島にいる次男坊の処で祝い事やら何やらあって、車で家族4人乗せて安芸の宮島一泊旅行に出かけた。
片道800キロ。休憩込みで10時間かかる。往きは東名、帰りは中央道を使った。もちろんAlfa Romeoではなく国産車でである。といってもアルファ以外は軽のラパンしかない我が家にとって、夜通し走るのはまさに弾丸ツアーだったのだ。
パワーは100キロ維持にはギリギリだが十分。一般路ではふらつく電動パワステは、速度感応らしく結構マトモになってくるのは意外。しか〜し、後席はジュリア並みに広いのでスペースに不満は無いのだが、柔なリアサスペンションは高速道の荒れた段差に対応しきれずガンガン突き上げて後席での安眠はほぼ不可能。いくら運転手が3人居るからってローテーションはハードでした。

おまけに雨☂。

ヨーロッパでバカンスの頃、荷物と人間を満載したフィアット500やルノー5がオートルートを南下するのをよく見かけたが、気分はそう遠くない。僕以外皆熟睡し、不平を言わないところに改めてラテン入ってるのを確認する事になった。我が家に不可能は無いかに思えた。
以前、そ・う・い・う・世界に精通している方に言われたことがあるのだが、僕の守護霊は位が高く、厳島神社に祭られているのだそうだ...Oh my God !。
僕は決して信心深いとは言えない人間のはずだが、言われてしまうと気になって仕方が無いという部類には属している。以来、近所の谷保天神の境内に厳島の出社があり、コトある事には必ずお参りする様になってしまっていた。
そういう縁も確実に後押しあったのだが、厳島神社は僕にとって人類史上最高傑作の建築物。二度目になるこれをじっくり味わうためにと、1年前の予約で宮島内部に宿を取った。その甲斐あって、朝もや煙る6:30開場のだれも居ない社内を散策し、潮の満干、朝な夕な姿を変えるこの建物の醍醐味をしゃぶり尽くせたのである。
ろくな道もないし信号も存在しない小さな島で、僕のを入れてもきっと10台くらいしか車がないだろうか、そしてその半数が消防車とパトカーだろうか、煩わしい音が無いことに気づかないくらい静か。程よいと思える小雨に洗われた空気は段違いに透明だった。平安時代にタイムスリップし、将門と空間を共有したといったら酔い過ぎだと言われかねないのだが。でもそういう気分で、一人で、ユックリと…(我が家族にはこういう情緒は微塵も無い)。

雨じゃなければ、四国に渡って金比羅宮と讃岐うどんにうず潮…
1000キロツアーが出来たのに、と妻の不平。

2011年11月4日

メロスはハイだったのだ

昨日は地元で開かれたアクアスロン大会に参加しました。トライアスロンが3種目なのに対して、これはバイクの無い2種目の大会です。その手軽さから最近ローカルで流行っております。今回はスイム200m、ラン2キロのお手軽ビギナー向け大会。来年トライアスロンに出るための経験として急遽出ることにしたのです。

陸上競技は人生初の...まさにデビュー戦でした。
まさか、僕が走るなんて!誰が想像したでしょうかって、自身つくづく感嘆。
小学生から高校まで、運動会の徒競走ではビリかその次が指定席。走りの授業では仮病を使って出ないこともあったな。多摩湖一周のマラソン大会なんて最もおぞましい体験だった。
その頃ダントツだった水泳がある故に、体育の先生からはナマケモノのレッテル張られてたみたいだったっけ。
でも今でもそうだけど、僕の体にはまったく合わない種類の運動なのである。この種の運動負荷に対する、呼吸器系、循環器系のサイクルが絶マッチしてないとか、そんな感じなのだ。心臓も肺も悲鳴を挙げて、脳に赤い警告灯が点滅しピーピー鳴ってとても続けられない状態になる。聞きかじって、冠静脈とかが細い人の症状に似ていて、きっとそういうことが僕にもあるんだと。
その上の、中年からの足腰の故障。

そうなると何で走ることにしたのか。
まだよく解らない。

この秋から始めたラン練習。走るたびに膝や腿あたりの筋肉をひどく痛めてしまってコンスタントな練習にならず、2キロを通しで走ったのはこの日が初めてだったんだ。
500mのコースを4周回。1周目、走りきれるか心細い。2周目で警告灯が点滅。3周目、それでも何となく体内の負荷サイクルに一定の状態が出来始めてくるのを感じる。後1周という安堵感も後押し。4周目、負荷が負担では無くなって来るような?気がしてくる。そうかこれがランナーズハイとかいう状態なのかと、自身の体の状態に妙な感心。
そうして完走!。
走れたこと、苦痛から解放されたこと、体の新しい機能を発見できたこと、まったくもって気持ちよかった。

若者が多い中スイムは同等に渡り合えたけど、当然のごとくランではバンバン抜かれて周回遅れ。それなのに50歳代1位だって!マジかよって、思いがけないご褒美付き。それに、う〜ん...意外に足が痛くなってない。

秋の佳き日でありました。
PS.50代は僕一人だけだった...

2011年11月2日

芸術の秋なのだ

待ちに待って、本州の新蕎麦粉が出回りだすと落ち着かない。
長野の粉屋からの案内で新作だという「氷雪」を取り寄せてみた。
御膳粉を工夫した創作2/8そば粉です。
御膳粉ってやつはソバ粒の中心部分で、ソバ本来の風味はほとんどないのだが、独特な食感が好きである。
そして何より真っ白な優美さが魅力。
我慢できず、昼のまかないに、さっそく打ってみた。
御膳粉は初めて。心配した打ち難さは全くない。
タタミで折れることもない。
散りばめられた荒い粒は相当な大きさ。伸していてもコレで切れないか心配だったけど、御膳粉で太麺は許されないしなぁ。
茹で上がって、ザルに取って水が引けると、思わずワォ〜。
美しい…氷の様だと評しているが、実際、ヒスイの様だな。
ふと、冬瓜のソウメンを思い出した。
薄っすらみどりがかった透明感のある白さ…その中に荒粒が透けて浮いている。
何ともいえない涼やかさは京都辺りの凝った和菓子の佇まい。
見とれてしまいそう、これはアートです!
目で楽しむ要素を評価すれば、蕎麦屋より、料亭向きなのかも。
単なる食べ過ぎか、喉越しに何となく気になる風味が残るが、こんなに素敵な蕎麦が気軽に打てるのはうれしいじゃないか。
僕、200g以上でないと打てないので...お腹いっぱいです。

家は未だに白熱灯なので写真はどうしても黄色っぽいな