2011年11月11日

つぶやいてしまう事もある

ふたたび厳島神社である。
入り口の左の柱に「世界遺産」の大きな木彫りの看板が誇らしげに掲げてあった(ちなみに右柱は「国宝」とある)。あれを誇るにはそれなりの審査があって、外国から専門家が何度も来てるはずだが、何の指導も付かなかったんだろうか。とするなら、この看板も所詮観光指向の登旗にしか思えなくなってしまいそう。
このブログに似合わない展開は自分でも意外だが、背後の守護霊に背中を突っかれてる気分なのでやむ終えない。

他でもない、社務所というんだろうか、お守りやお札を売る仮設小屋に納得がいかないのだ。
海の中を自在に走る回廊と拝殿の間の海の上に、白木の掘建て小屋をはめ込んで売店としていた。前記事写真と左右対称なので在る無しを想像されたい。一応、本体には手を加えない配慮は見て取れるが、それだけで十分なのだろうか。これじゃあ拝殿脇の肝心部分の開放性を台無しにしてしまっている。本来ここは下記写真同様に潮風が通い、日差しが降り注ぎ、脚基のさざ波に反射した煌めく光が薄暗い拝殿の奥まで入り込み、厳かな儀式を照らし出していたはず。そういうランドスケープを取り込んだ計画性こそこの建築の醍醐味なのじゃなかろうか...と。無念。

もう一つ言わされてしまおう。
順路出口付近の能舞台で何やら催しがあるらしく、舞台と回廊の間の海に無数の柱を建てて広く仮設の床を張り巡らして埋めてあった。二年前も同様に。どうも観客席を増設しているように推測できる。催しが開かれていれば見方も変わるのかもしれないが、修復現場の様な造作はどう見てもこの場にふさわしくない。始終行われるのか作りっぱなしにされているのかな。

800キロを越えて来た僕にはまこと残念な事でした。
おっと、これくらいで慎もう。

この世界に誇れる遺産のために。

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