2008年3月11日

ボディコン2

造形には一方ならぬ思いがある。門外漢ではあるがクルマに在っても、形と性能は関係ないってことはあり得ないと常々考えている。建物の住み心地と空間性は無関係か?。服の着心地とファッション性は無関係か?。あらゆるモノで形態と機能の面白い関係に触れることができるが、まったく不釣り合いだと思う事例に出会った事が無いのは僕だけだろうか。形は結局の所、目指した世界を表している最終的結論に他ならないんだ。GIULIAを磨いていると形と性能が語る世界に引きずり込まれてしまう。そうして思いを広げるといつも「段付き」が気になって仕方が無い。誰かあの「段」の訳を知ってたら教えてくれないか。というわけで晩酌ついでに勝手に想像力を働かせてみたのであった。 クーペはその大方を2600時代からのモチーフを引き継いでるわけだが、より引き締まって完成度の増した造形はさすがジウジアーロ(だったよね)の実力。ボディーサイド上部を走るカットされた面のすばらしいハリは賛美に値する。それによって出来る2本のラインがフロント部で交錯するのが堪らなくドラマチック。下のラインはボンネット前端へ水平に延び、上のラインはサイドマーカーへ垂直に降りている。それ故1点で交差する逃げの利かないテーマこそが事件の始まりなんでしょう。フェンダー上面のハリのある面とボンネット全体の緩いハリのある面をライン交点向って連続させなければならない。交点が明快な程、谷の様になる造形は難題だ。デザイナーのイメージしたレベルに辿り解こうと、きっとモデラーはクレイを盛っては削り、何度も直したに違いない。出来るたびにジウジアーロのダメ出しでナイフで削らされたはずだ。そういう状況の中、やり直しを見つめる彼の感性は当初のイメージから発して新たな局面を迎えるに至ったに違いない。削り直すモデラーのナイフのカット面を見て直感したんだ。そうしてきっと自らナイフを掴んで交点に向けて45度でサイプを入れた・・・Oh my God! いやGood! チャンチャン!。造る上ので苦悩を表現する論理を超えたデザインとなった。あのエッジ!当時プレス技術的にもすばらしく困難だったろう。こういうことはデザインする過程でけっして珍しいことではないが、自動車工業界であることを考えると、現場で起こったドラマを重役会議の納得を取り付けることが出来る彼と、受ける役員の双方の力量には恐れ入るってもんだ。さぁて、2000GTVはどうしたってかい?デザイン現場の空気が伝わるような段付きではあるが所詮はアバンギャルド、モデル後期に至って、ライトを広げて交点を逃げ整合性の高い大人な表現に至ったのはしごく自然な成り行きだったに違いない。はぁ〜・・・AでもAmでもかまわない、いつかオタフククーペを所有したいなあ。

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