2007年12月19日

イタリア物作り考




このCampagnoloのペダルを見るたびに、感嘆してしまう。自転車の部品であることを忘れてしまう程美しい。エアロブーム時代にあっての流線型コンセプトだろうが、普通構造的にペダルには軸を通す。なのにこれはまず形ありきで、片側にベアリング3個もぶち込んでも、デザイン優先の片持ちに仕立てている。後にも先にもこんなのコレだけだ。このブレーキもそうだ。機械的には変形センタープル方式だが、小型のケースに強引にしまい込んで造形に走ってる。最初期型はあまりの効きの悪さで、世界中からリコール回収する始末だったらしいし後型も評判悪い。このブレーキがカンパの首を締めた張本人に違いない。たとえブレーキであっても、効く事が第一番ではないのであるイタリアは!。  これらを見てると、ふとTipo33stradaleを思い出した。心が震える程美しい車だ。Carマガの記事を見ると、最初から市販車になり得ない様なディメンションであったようだ。考えるに、どう工夫しても市販にできないと解るのにいったい幾らつぎ込んだのだろう。たとえ乗れない程であっても美しいことの方に大組織が夢中になってる。日本やドイツの企業では考えられない指向だ。誰かが皆を頷かせる美しいアイデアを思いつく。すると皆がその思いを形にする為に一丸となるんだろうねぇ。イタリア物には出来た物に作者の心の脈動が見えるんだ。私も物を造る環境に身を置いているが、現実、皆でイジリ回して海の物ともわからないような代物に仕立ててしまうのを悔やむことが多いんだ。実に羨むべき環境、いや民族性かなぁ。私の仕事もそろそろ住み易さ、とか忘れたくなってきたぞ〜。愛すべきAlfa Romeo、20年持っていても日々の感動が色褪せない理由が解る気がする。

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